【特集インタビュー】エイトール・メンドンサ(Heitor Mendonça)

2024年7月「ブラジル&ラテンフェスティバル」に出演された、ブラジル北東部のセルジッペ州から来日の、ギタリスト、エイトール・メンドンサさんにセルジッペ州の魅力についてうかがいました。

北東部の音楽と言えばフォホー(forró)が有名ですが、
エイトールさんはセルジッペ音楽院でクラシックギターとポピュラーギターの教鞭を取られており、同州を代表するミュージシャンであり、ヨーロッパや南米の国際的フェスティバルでも活躍されています。

Q.出身地セルジッペはどんなところですか?

セルジッペはブラジルで一番小さな州なんだ。
小さな州だけど、多くの文化があり、フォークロア(民族芸術)がとても豊かな街なのです。
セルジッペには30以上の異なるリズムがあり、それぞれのフォルクローレ・グループ(ラテン民族音楽グループ)があり、伝統的にさまざまな衣装を着て演奏します。
それぞれが個性的で、残していくべき宝のような存在です。

セルジッペがフォホー(forró)の国と言われるのは、伝統的なパーティーがあるからなんだ。
6月いっぱいは、広場でフォホーのコンサートを開くんだ。
人々の家では、典型的な料理、トウモロコシを使った季節の料理が食べられます。
花火も上がるんだ。

フェスタジュニーナ(Festa junina)というお祭りは知っている?
そこでフォホーがたくさん演奏されるから、 セルジッペ州のミュージシャンはみんなフォホーを演奏するんだ。ほとんどのミュージシャンがね。
他のスタイルもあるけど、フォローが多いね。

Q.音楽の道に進んだきっかけはなんですか

カントリア、カントリア、カントリア、カントリア……
僕のメインスタイルはカントリア(カントリーミュージック)なんだ。
作曲はMPBのものも作るよ。

アルセウ・ヴァレンサ(Alceu Valença)https://www.instagram.com/alceuvalenca/

のように、ギターと一緒にね。
ロックやポップスも。ショーロも演奏するよ。
ショーロといえば、
フォーダ ヂ ショーロ セルジパナ (Roda de Choro Sergipana)というショーロ・グループをを作ったんだ。
そのメンバーでオーストリアのウィーンで行われた
ブラジル文化フェスティバル、フェスティバル・カルチュラル・ド・ブラジル(Festival Cultural do Brasil)で演奏したんだ。

Q.学校で先生をされているとうかがったのですが、ギターを教えていますか?

そうなんです。
セルジッペ音楽院で教師をしています。
私たちの州の主要な音楽学校です。
そして現在、2017年から交代制で校長になりました。
校舎を改築したんだ。
学院にはヴィラ=ロボス(Villa Lobos)・コンサートホールという300人収容のコンサートホールがあって、音響がとても良いのです。
バーデン・パウエル(Baden Powell)もそこで演奏した時に、ラテンアメリカで最高の音響だと褒めていました。

クラシックギターとショーロを教えています。
演奏スタイルは歌いながらギターを弾いていますが
学校では歌は歌いませんし、歌は教えていません。
クラシックギターとショーロを教えています。

Q.ベルキオール(Belchior)の曲集を出されていますが、魅力について教えてください

これは僕の仕事のひとつなんだ、ずっと前からね。
僕がベルキオールの曲を演奏し始めたのは、ベルキオールの失踪したのがきかけなんだ。
ベルキオールの曲が、もう誰からも歌われないという時期があったからね。
だから私は、ベルキオールを歌う必要があると言ったんだ。
みんなベルキオールのことを忘れられないからね。
彼はブラジル音楽にとってとても重要な人だから。
だから、人々の心にベルキオールを生き続けさせるために、ベルキオールを歌おうと言ったんだ。
そう、ベルキオールに捧げる曲も作ったよ。

Q.来日してみて日本の印象など感じたこと等を教えてください

日本の多くの場所が好きだった。
場所も食べ物も全部。日本はとても整理整頓された国だ。
料理も素晴らしい。
ラーメンも、寿司も、サムライ文化も、何もかもが大好きだ。
日本人が好きだ。必要なものはすべて揃っている。
そうそう、日本の人は一言も話せない私のことを、みんないつも助けてくれた。
道に迷っていると、誰かが助けてくれる。
広場に行けば、誰かが助けようとしてくれる。
私は日本人が大好きになった。ありがとうございました。

Q.「ラテン&ブラジル フェスタ」で日本人のアーティストと共演されていかがでしたか?

印象的だったのは、ブラジル人のリスナーはブラジルを思い出しながら踊り続け、日本人のリスナーは注意深く耳を傾けて聞いていたことだ。
ケペルさん、キュウちゃん、という日本のミュージシャンと演奏するのはとてもいいことだと思う。
誰も同じプレーはしない。そして、いろいろな演奏方法を知れば知るほど、より豊かになるんだ。
だから、日本のミュージシャンと一緒に演奏できてとても嬉しかった。
友情は旅先でできる最高のことだと思うんだ。
だから、ウィリーに会えたこと、ケペルに会えたこと、キュウちゃんに会えたことをとても嬉しく思っている。

Q.これからの抱負、活動について教えて下さい

今、4曲の未発表の新曲と2曲のミュージックビデオを収録したEPをレコーディングする予定なんだ。
9歳になる息子のために作った曲で、
『Janelas de Vidro(ガラスの窓)』ガラスのスクリーンのような曲なんだ。
この曲は、息子が携帯電話を通して人生を見ないようにという想いをこめているんだ。
雨が香るとか、露が冷たいとか言っても、情報だけではなにも感じないでしょ?
だから、このクリップは、自然の中でより多く生き、バーチャルな世界ではより少なく生きるという、物語を少し語っているんだ。

そのうちのひとつは、『Music for Washing Dishes(皿洗いのための音楽)』というタイトルになる予定だ。
パンデミックの時に作った『Música para Lavar pratos』という曲と、私が作曲した『dose de Mangaba』という曲と、『convales』という曲。

『Música para Lavar pratos』

そして、バレスカと一緒に書いた『ドセ・デ・マンガバ』だ。
私の次のプロジェクトはフォホー。
仕事は山積みだ。

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