映画『エリス&トム』を視聴して

1974年リリースの同名レコード『エリス&トム』の制作過程を追ったドキュメンタリー。
本作は現在生存するスタッフたちの証言を時折挟みながら、当時どのような経緯を辿ってエリスとトムがアルバムを作ることになったのかを中心に描かれている。

1974年といえばトム・ジョビンは47歳、エリス・レジーナは28歳である。
当時、国民的歌手であったエリスの新しいレコードのアイデアとして、レコード会社によってジョビンとエリスを共演させる案が浮上し、ロサンゼルスに居を構えていたジョビンの元にエリスがレコーディングに向かうところから始まるドキュメンタリー映画だ。

しかし到着してみるとエリス側とジョビン側で話が食い違っており、エリスがブラジルから同伴させたセーザルが編曲を担うつもりだったが、ジョビンが全体のプロデュースと編曲を担うと思っていたため衝突することとなった。

セーザル・カマルゴ・マリアーノはエリスの夫であり、彼女のバックバンドのリーダーであり、プロデュースから編曲、鍵盤楽器を担当していた。既に10年近いキャリアを有しており、自身がプロデュースしたエリスのアルバムを大ヒットに導くなど、ブラジル音楽の第一線で活動している名プロデューサーである。

アントニオ・カルロス・ジョビンはボサノバの産みの親の1人であり、世界にボサノバを広めた立役者でもある。特にアメリカを中心にジャズミュージシャンとの邂逅を経て、その知名度は世界規模であった。しかしブラジル国内でいえば人気は今ひとつで1974年当時で考えても過去の人という認識は拭いされなかった。

エリスはそんな2人に挟まれる最悪な形でレコーディングは開始した。
方向性の違いからセーザルを揶揄するジョビン、不快感を露わにするエリス、静かいにしかし根にもつセーザル。この状態のまま数日が過ぎていった。誰もが歴史的なコラボレーションであるアルバム『エリス&トム』が実現不可能に思われたその時…!

ある朝、ホテルでジョビンがエリスとセーザル3人でセッションを始めたのだ。自身のメインパートであるピアノをセーザルにジョビンはギターを弾きはじめ、エリスが歌う構成を取っていたのだ。
そこからは堰を切ったように制作が流れ始め完成まで一気に駆け上がっていった。
私は視聴中、ジョビンという男の真価を目の当たりにした気がした。

一度険悪になった者同士が修復するのは並大抵のことではない。
それをジョビンはやってのけていた。しかも相手に合わせるだけでなく相手の手を取って自分のテリトリーに冗談を飛ばしつつ連れてきてしまうのだ。
この映像こそがジョビンというプロデューサーの実力、そして特異性、才能なのかもしれないと。

この話の根本原因は旧世代と次世代のミュージシャンの衝突という、そう単純な話ではなく、1音に至るまでの嗜好の違いから来た衝突といっても過言ではない。
というのもジョビンはすでにこの5年ほど前に発表した「Tide」や「Stone Flower」のアルバムで新進気鋭のキーボーディスト兼アレンジャーのデオダートを迎え次世代のサウンドを試みていたからだ。
つまり決してジョビンが”若者”の音楽に共感できていなかったわけでは無いことが分かる。

ジョニーアルフに長年憧れていたジョビン
ジョニーアルフに運良く師事できたセーザル

エリスと離婚した親友のボスコリ
エリスと再婚したセーザル

更にセーザルはジョビンと同じ鍵盤弾きである

それを前提に考えるとセーザルはジョビンにとって当初よりかなり印象が悪く映っていたのかもしれない

そしてエリスも偏見で見ていたジョビンという堅物のイメージから脱却し、過去の偉人たちの音楽を振り返りつつも捉われず、今の時代に良いところだけを取り入れ自由に表現するジョビンという人間を再認識したようだった。
当時軍事政権下のブラジルにおいてはエリスも例外なく制約を受けていたわけだが、それがロサンゼルスでは嘘のように自由に翔ける世界だった。
エリスはやがてその自由な向き合い方をジョビンに見出しエリス自身に取り込もうとする姿は夫セーザルにとっては気持ちの良い光景ではなかったはずだ。

本当のところは当事者同士にしか分からないことだが察するにかたく無い映像のお陰で、この歴史的名盤『エリス&トム』が持つ多面的な要素を獲得できたことは間違い無いだろう。

この記録映画が現存していたことが後世にどれだけ貴重な体験を残したことか計り知れない。


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