【特集 第1回】ブラジル文化の達人から学ぶ、深い知識と新たな視点 Nitinhoさん
ブラジル特化型サイト「ブラジル コン エス ポント コム」開設記念として、ブラジルにゆかりの深い3人の方に集まっていただき、ブラジルに関心を持つ若い世代に向けてそれぞれのメッセージをいただきました。
第1回は、ニチーニョさんからお話をお伺いします。
ブラジルとの出会い
大学入学と同時に東京に来ました。
当時巣鴨(西ヶ原キャンパス)にあった東京外国語大学のポルトガル語学科に入学したんです。
自分はもともとどこか広い国に行ってみたいと思っていて、英語圏だったらオーストラリアとか、他の言語だったら中国とかロシアとかになるんですけど、あまり寒いとこは嫌だなと思っていたんです。
それでサッカーが好きだったこともあってサッカーで有名なブラジルはどうかと。
日本ではメジャーではないけれども、ここだったらなにか面白い文化に触れられるんじゃないかと思って選びました。
待望の留学生活
大学在学中にブラジルと日本の交換留学をする制度を使って1年間留学しました。
そこでブラジルのサンバに出会ってのめり込んでいきましたね。
当時、国立大学からあんまり留学って今みたいな簡単に行けるような時代じゃなくて、
JICAっていうシステムと日本ブラジル青少年交流協会だけだったんですね。
JICAはなかなかハードルが高くて、青少年交流協会の方で合格できたのでそれで行ったんですけど、僕の場合は15人ぐらいで一緒に行って、それぞれ向こうに着くまで自分たちが何をするか全く分からない状態での渡航でした。
ブラジル政府が受け入れるにあたって現地にはさまざまな業種・業界の人たちがいて、着いたらあなたはどこどこで働いてください、リオにある商店街の売り子として働いてくださいとか。
僕もいろいろ支援してもらいまして、日系の銀行で研修生として働くことになりました。
サンパウロに着いたら、銀行の支店長さんが来て、2つ選択肢があるからどちらかを選べって言うんです。
その時の1つがフォルタレザという、セアラー州の都市と、ペルナンブーコ州のレシフェとどちらが良いかと問われました。
どっちも全然知らなかったのですが、私は福岡出身だったので、単に頭文字がFという共通点だけで、適当にフォルタレザを選びました。
それが1983年、ちょうどブラジルがまだ軍事政権だったその最後の頃の年ぐらいですね。
街中はものすごく民主化運動が盛んで、それこそ大学とかに行くとあっちこっちに貼紙が貼ってあって、民主化しろみたいな感じで、軍事政権下で長い間おさえつけられてたところから脱却して
なんとか自分たちで自由な世界を獲得したいという力が強くなっていた時代です。
そんな中、日系の銀行で1日中働いて思ったのはブラジルという国は日本と違って、自分のやりたいことを主張するとわりと通る、むしろ主張しないと何もできない、という感じなんです。
試しに、勤める際に大学にも行きたいと言ってみたら「じゃあ1日働くんじゃなくて半分にしてあげるよ」って言われて。
あと半日は好きなことをしろと言われました。
それでフォルタレザ州立大学に行くことにしたんです。
だけど言葉がね、勉強していたとはいえ全然わからなかったんですよ。
言語学部の授業とかも受けてみたけどさっぱりわからない。
外国人向けのポルトガル語教室みたいなものが大学の中にあったので、そこに行ってみました。
日本人は僕1人で、そのほかにコロンビア人、フランス人の女性
あと1人ラテン系の人の4人で授業を受けたんですけど、僕が1番しゃべりが下手だった。
でも先生とやり取りしてるうちに「あなたはしゃべれないけど他の3人より文法的にはとても正しい」
「もう授業を受ける必要はなくて、むしろ外に出て話してきなさい」と言われて、
とにかくその辺の人を捕まえてはしゃべる、これが大切で、大学の授業にはほとんど出席せずに友達と遊びあるいたりしながら1年間を過ごしました。
そして銀行の仕事も、ポルトガル語は最初の半年ぐらいは幼稚園レベルの言葉しかしゃべれなかったから、ただ書類を整理したり、タイプライターで打つだけとか、そういう簡単な仕事をしていました。
ほとんど銀行の仕事なんてわからないままマスコットのような扱いでした。
若い日本人の男性なんてそもそもいないんですよ。特にセアラー州って。だからすごく構ってもらいましたね。
珍しい日本人っていうだけで、しょっちゅう街中で声はかけられるし、銀行の中でもみんなに注目されてて、そんな感じで当初は過ごしました。
ポルトガル語の学び方・二チーニョ編
多分すでに勉強されてる方々からしたら、改めて言われるまでもないって感じかもしれませんけど
僕は英語以外に第2言語を学ぶことってすごくいいなと思います。
英語の時にできなかった積極的な言葉に対するアプローチは、第2言語の方がやりやすい印象があります。
英語と違う難しい文法とかは確かにいろいろありますけど、結局その言葉を勉強して何をするのかというのが重要なので。
それを考える時にその言語を使う対象の国、ブラジルやポルトガル、アフリカみたいにポルトガル語を公用語として話している国が何カ国かありますけど、そういう人たちと交流することが大切だと思います。
最初は分からないなりに交流をして、自分の情熱を大切にしながらやっていけば、優しい人がいろいろ手助けしてくれるし、
ブラジル人は基本的にみんなが優しいので日本では考えられないぐらいハードルが低い。
比較的、人間関係を保ちやすい民族だと思うのでためらわずにやってほしいです。
ブラジルに関心を持つ若い世代の人たちへ
ブラジルは主要都市だけでなく他の州にも旅行に行ってみると想像し得なかった発見がありますよ。
ブラジルってこうだよとかがないというか、自分なりの発見が出来ることがいいと思うんですよね。
自分にとってのブラジルを発見する、それこそ多種多様に無限にあると思うので何に出くわすかは運次第。
でもそれを楽しめる情熱を大切にしていれば良いんじゃないかなと思います。
僕は帰国後、大学卒業してから普通の会社に入社して、それからちょっとブラジルから縁が遠くなってしまったんです。
しばらくの間は普通のサラリーマンをやっていて、いろんな理由から辞めることになった。
やっぱり自分にはブラジルだと思ってね。
今は音楽を中心にブラジルに対する気持ちを誰かに伝えたくて演奏活動をして過ごしています。
東京外国語大学ポルトガル語学科卒業。
ブラジル留学を通じサンバに出会う。
浅草サンバチームにて作曲演奏歌唱を担当。
日本語サンバ「てんしバンド」を率いて江東バンドフェスティバル特別賞受賞、
江東CATVの番組のテーマ曲としてオンエアー。