『アフロ・サンバ』音楽レビュー(Os Afro-Sambas de Baden e Vinicius)

本作『アフロ・サンバ』を初めて手に取った数十年前、いわゆるボサ・ノヴァをイメージしてこのアルバムを聴いた私は、
海風というより熱風、クールからは程遠くむしろ民族的な力強い印象を受けました。
しかしそれもこの作品の背景や経緯を知るにつれ次第に違ったものに感じる、そういった知れば知るほどに醍醐味の味わえる作品なのです。
本記事では微力ながらそのお手伝いができればと思いますので、良かったら最後までお付き合いください。

『アフロ・サンバ』概要

原題:Os Afro−Sambas de Baden e Vinicius
リリース:1966年
レーベル:Forma
品番:FM16(mono)・FM1016(estereo)
収録曲(収録時間):
Canto de Ossanha(3:27)
Canto de Xangô(6:33)
Bocoché(2:38)
Canto de Iemanjá(4:52)
Tempo de Amor(4:32)
Canto do Caboclo Pedra Preta(3:43)
Tristeza e Solidão(4:38)
Lamento de Exu(2:17)

ボサ・ノヴァが生まれた時代背景

この作品を理解するために、まずボサ・ノヴァが生まれた時代背景を知っておく必要があります。
1956年、ブラジルでは就任したクビシェッキ大統領の「50年の進歩を5年で」により外資導入と工業化の積極的な推進、さらに内陸部の発展促進を目的に首都を遷都させる計画を打ち出しました。

この大規模な開発の熱気はあらゆる分野に飛び火し、建築ではオスカー・ニーマイヤーの前衛的なデザインがどの世界にも無い新しい風景を生み出し、音楽ではジョアン・ジルベルトの「想いあふれて」(1959)を皮切りにボサ・ノヴァがムーブメントになり世界にまで波及していきます。
映画界では既にその数年前からシネマ・ノーヴォ運動が盛んになっており、ブラジル国家の問題に強く結びついたテーマを取り上げていました。
今で言うところのブラジル国内で新しい自由なブラジルになろうという価値観のアップデートが若者を中心に大バズりだったんですね。

このボサ・ノヴァで実践された手法を立役者の1人であるヴィニシウスが、今度はアフロ・ブラジルの様式に置き換え大衆音楽に落とし込み、より身近で自由な音楽表現を試みる、それが本作『アフロ・サンバ』でした。

なぜヴィニシウスはアフロ・ブラジルをテーマに?

ではなぜヴィニシウスはあえてアフロ・ブラジルをテーマに選んだのでしょうか。

そもそもアフロ・ブラジルとはアフリカを起源とする宗教や音楽であり、ブラジルに連れてこられた奴隷たちの文化を起源に持つ文化です。
その奴隷たちは何百年もの間、住む場所も職業も選べないほど貧しく暮らしてきました。
その理由として上流階級を白人が独占し、暗黙の差別や格差を生み続け、今なおブラジルの深刻かつ複雑な分断となっています。

それを外交官であり知名度のある国民的詩人、つまり差別する側に立つ上流階級のヴィニシウスが、黒人起源の音楽を大衆文化のテーマに据え、あえて世間に問うこと。

これはヴィニシウスが1956年に発表した演劇『オルフェ・ダ・コンセイサォン』から続く一貫したコンセプトであり、外交官ならではのグローバルな視点から格差社会の現実と、それに対抗する政治的主張のモニュメント、音楽史に留まらずブラジル芸術全般に打ち込んだ楔と言えるかもしれません。

録音にはヴィニシウスの音楽家ではない親しい友人、知人らも参加し、親しい仲間内でのホームパーティを彷彿とする日常的な風景の中に、アフロブラジルを起源とする音楽が大衆音楽の姿を借りて楽しそうに演奏されている。
これが当時どれだけ挑戦的且つブラジル国内のエリート層にとって都合の悪いものに映ったか、その後のクーデターでブラジル軍事政権に変わり1968年の悪名高い法令第5条によってヴィニシウスが外交官をクビにされたことを考えれば一目瞭然ではないでしょうか。

本作はボサ・ノヴァ以降、ポピュラー音楽の分野で発展してきた現代音楽のプロセスを踏まえつつ、ブラジル社会そのもののアップデートを作品に投影したMPBの重要な分岐点と言えるでしょう。

曲目紹介

1. カント・ヂ・オサーニャ

オサーニャは植物や葉のもつ魔法や癒しのエネルギーを司るオリシャ(神)。伝説によると森の中で寂しい思いをしていたオサーニャは能力を使い、他のオリシャを魅了し森の中に閉じ込め、正義を司る神により罰をうけ、片足になったという逸話がある。

歌詞では雷の神シャンゴーが愛にまやかしを使わぬようオサーニャに警告し、苦しみを伴わない偽りの愛を求めるオサーニャを裏切り者として表現している。

2. カント・ヂ・シャンゴー

シャンゴーは雷、稲妻の神で、正義と裁きを司る神。愛することは苦しむことであり、その痛みこそ誠実に生きることそのものであるというテーマの元、シャンゴーを讃えている。

3. ボコシェー

歌詞に出てくるイエマンジャーは海の女神。愛を失った失意から海へ入水した少女の魂が救われることを願った歌。
波の押し寄せる擬音表現と、涙の流れる様を繰り返しコーラスで表現するくだりは、明るい曲調とは裏腹に虐げられた人々の生活からヴィニシウスが感じ取った深い闇が垣間見える作品。

4. カント・ヂ・イエマンジャー

母なる海、多くのオリシャたちの母親であるイエマンジャー。
愛を知るイエマンジャーを讃え、愛を失った時はイエマンジャーの歌を聞きにサルバドールにおいでと歌っている。
ブラジル北東部にあるサルバドールはかつてヨーロッパ人の入植の中心地で、奴隷として連れてこられたアフリカ系移民がもっとも多い都市である。

5. テンポ・ヂ・アモール

この歌詞は嘆きを表す感嘆詞で始まる。
失った愛を嘆き悲しむあまり、新たな愛から目を背けることは不毛であり、愛のない平穏な日々を選ぶのは人生そのものを否定していることだと歌っている。
苦しみながら意思の力で心を開いていくことこそが人生なのだと語る。

6. カント・ヂ・カボクロ・ぺドラ・プレタ

実在した司祭カボクロ・ぺドラ・プレタ(黒い石のジョアン)を歌った曲。
テヘイロは祭儀場、パンデイロは男性、ヴィオラは女性を指す。

7. トリステーザ・イ・ソリダォン

アフリカを起源とした信仰から分派したカンドンブレとウンバンダ。ババラウォは祭司を指す。
神に頼み恋人に戻ってきてほしいと願う男性の苦悩、救いを求める姿が描かれている。

8. ラメント・ヂ・エシュー

聞くものが、今まさに始まる儀式に立ち会っているかのようなエンディング曲。
エシューとは宇宙の創造神オロルンに最初に作られたオリシャ(神)。オリシャたちのメンセンジャーで、全てのオリシャと人々を繋ぎ、儀式の初めに登場する。
また相反するものを併せ持つ賢くも悪戯好きな運命の神であり、どこかヴィニシウス自身を彷彿とする。
このエシューを表す色は赤と黒であり、本作アフロサンバのジャケットカラーにもなっている。

また同時期に製作された「コンソラサォン」や「ビリンバウ」などはエリス・レジーナやナラ・レオンが先行してリリースしていたため、本作に収録するのを見送ったとも言われています。

併せて聴きたい作品

本作『アフロ・サンバ』と合わせて聴いていただきたい作品にパウロ・ベリナッチとモニカ・サウマーゾの『アフロ・サンバス』があり、こちらは曲本来の持つ骨格がはっきり分かるので、この作品を視聴後に本作『アフロ・サンバ』を視聴すると、また違った観点からアルバムを聴くことができるのでお勧めです。

今から視聴・購入するのであればユニバーサルミュージックから発売されている2009年最新DSDリマスター音源を使用した『アフロ・サンバ [SHM-CD]』(下画像参照)がおすすめです。
理由としては個々のトラックのボリュームが見直され今まで割れぎみだった音も比較的改善されており曲の全体像が明瞭に分かるバランスになっています。

以下に挙げるアルバムジャケットは本作『アフロ・サンバ』と同内容音源。
市場でよく見かけるジャケット違いを中心に一部を抜粋(音源はリマスター前のもの)。

また、間違われやすいアルバムに下記の『Afro Sambas』があり、これはヴィニシウス没後10年の節目に、バーデン・パウエルとクアルテート・エン・シーがアフロ・サンバを1990年に新録したリメイク版です。
オリジナルジャケットは初老バーデンの写真が印象的な黄色い表紙のもの。
その下の写真はジャケット違いの同内容音源なのですが、アルバムタイトルが『アフロ・サンバ』の原題である『Os Afro-Sambas』となっているため1966年の録音と余計に混同しがちで注意が必要です。

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