【大阪・関西万博】[26]1970年のレガシーを未来へ継承
1970年の大阪万博から55年の時を経て、再び大阪の地で開催される2025年大阪・関西万博。
その舞台裏では、過去の万博資料を今に伝えるコレクターたちと、当時の精神を受け継ごうとする関係者の情熱が交差している。
1970年の記憶と2025年の希望をつなぐブラジル館の取り組みに注目したい。
Contents
万博記念公園に残る1970年の息吹
2025年に開催される大阪・関西万博は、1970年に続く2度目の大阪開催である。
当時の会場跡地は現在「万博記念公園」として整備され、今も万博の記憶を色濃く残している。
公園は大阪モノレールの「万博記念公園駅」からほど近く、約260ヘクタールにわたる敷地内には多くの関連施設が点在している。
中でもひときわ目を引くのが、芸術家・岡本太郎による「太陽の塔」である。
高さ70メートルの塔には「黄金の顔」「太陽の顔」「黒い太陽」の3つの顔があり、地下には予約制で見学可能な「地底の太陽」が展示されている。
また、「EXPOʼ70パビリオン」では1970年の大阪万博の写真や映像、展示物などが公開されており、来館者にタイムスリップしたかのような体験を提供している。
ApexBrasilのルシアーノ氏が語る「万博の魔法」
ブラジル貿易投資振興庁(ApexBrasil)のルシアーノ・バルボーザ氏は、万博記念公園を訪れた感想として「万博は魔法のような体験である」と語った。
2020年のドバイ万博でブラジル館に関わって以降、彼は万博の魅力に強く惹かれているという。
バルボーザ氏は、1970年の大阪万博におけるブラジル館の成功を再現したいと語る。
そのために、当時使用されたパンフレットやスタンプ帳といった貴重な資料を入手した。
パンフレットには、建設中だったブラジリア大聖堂の写真が表紙に用いられており、スタンプ帳には約50ヵ国の記念スタンプが押されている。
「この資料を手にしたときは感動した。これは万博のレガシーであり、我々関係者にとって非常に価値ある記念品である」と語った。
また、「万博はブラジルのイメージ強化、観光促進、パートナーシップの拡大に資する絶好の機会である」と強調した。
万博マニアによる1970年の記録
1970年の大阪万博を現地で体験し、多くの関連資料を収集しているのが、いわゆる「万博グッズコレクター」として知られる井上謙二氏である。
井上氏は、2025年万博の「関西パビリオン・兵庫県ゾーン」において、当時のブラジル館に関する資料を提供した。
その中には、1970年の公式ガイドブックやナショナルデーのパンフレットなどが含まれており、ブラジル館の様子を現在に伝えている。特に橋のような構造の建物が象徴的であったと井上氏は語っている。
ナショナルデーのパンフレットには、ブラジルの豊かな食糧資源、特にコーヒーを中心とした展示内容が紹介されており、食文化のアピールが前面に押し出されていたことがわかる。
偉大な建築家への敬意と展示
1970年のブラジル館を設計したのは、ブラジルを代表する建築家パウロ・メンデス・ダ・ホシャ氏。
2006年には「建築界のノーベル賞」とも称されるプリツカー賞を受賞した世界的建築家である。
2025年のブラジル館のキュレーターを務めるビア・レッサ氏は、この偉大な建築家に深い敬意を示しており、ブラジル館の入口には彼の名前が刻まれている。
さらに7月からは、ホシャ氏へのインタビュー映像や作品紹介を含む展示が第二展示棟で開始された。
この展示では、彼の思想に加えて、ブラジルの自然や文化に触れられる内容となっており、来場者から高く評価されている。
過去と未来をつなぐ、ブラジル館の挑戦
2025年の大阪・関西万博において、ブラジル館は1970年のレガシーを受け継ぎつつ、新たな文化・価値の発信拠点として注目されている。
展示の随所に1970年の精神が息づいており、万博が単なる国際イベントではなく、文化と記憶を共有する場であることを物語っている。
来館案内
ブラジル館のフィナーレは、来場者一人ひとりに今、何を選ぶかを問いかけてくる。
参加するからこそ、心に残る。
見るだけでは終わらない、体験型アートの新境地へ。
2025年、ブラジル館で自分自身がアクトになる感覚をぜひその身体で味わってください。
万博は未来を語る場であると同時に、「いま」を生きる私たちがどう生きるかを問う場所でもある。
展示と同様に、ブラジル館の暑さ対策からも、命と向き合う姿勢が伝わってくるのではないだろうか。
Expo 2025 Osaka・ブラジルパビリオンで、未来への“出会い”と“気づき”がきっと見つかるだろう。
会場:夢洲・ブラジルパビリオン
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