【特集】<第2回>まだ「ブラジル」という言葉を知らなかった頃。音だけが、先に心へ届いた

ミルトン・ナシメントの声に心を撃ち抜かれてから、50年。
中原さんは一貫して「音楽のある現場」に身を置きながら、その時代、その世代の空気を聴き続けてきた。

ラジオというメディアは、常に「いま」の感覚と向き合う場所だ。
自分自身は年を重ねていく一方で、リスナーはいつの時代も若い。
そのギャップに立ち続けながら、「この音楽、どうですか?」と差し出し続けること。
それが、中原さんの仕事だった。

第2回では、時代とともに変わっていく音楽の聴かれ方、賢くなったリスナーとの距離感、そして若い世代が鳴らす「いまのブラジル音楽」について話を聞いた。

「時代の空気」を聴き続けるという仕事

ラジオというメディアに長く身を置いてきた中原さんにとって、音楽とは常に「いまの時代」と結びついているものだったという。
ブラジル音楽に限らず、90年代、2000年代、2010年代、そして2020年代、それぞれの時代には、それぞれ異なる空気があり、異なる聴かれ方がある。

「自分は年を取っていきますけど、ラジオの中心的なリスナーは、ずっと20代から30代なんですよね」

そう語る中原さんの視線は、常に「次の世代」に向いている。
その世代の感覚や価値観に寄り添いながら、「この音楽、どうですか?」と差し出すこと。
それが、長年ラジオとともに歩んできた自分の役割なのだと感じているという。

「聴く側」は、もう十分に賢い

Photo:O-DAN

いまのリスナーについて、中原さんは「本当に賢い」と言う。
ラジオやプレイリストで気になる曲が流れれば、すぐにShazamで調べ、Spotifyに飛び、そこから自分なりに掘り下げていく。
アルゴリズムが提案する関連アーティストをきっかけに、思いがけない音楽に出会うことも少なくない。

「放送局のレコードライブラリーみたいなものが、いまは手のひらの中にある」

音楽は、かつてないほど身近な存在になった。
それだけに、「ブラジルに興味がある」と言いながら、音楽にはあまり触れていない人がいる現実には、少し複雑な思いもあるという。
その距離をどう埋めていくのか、それは、長く考え続けてきたテーマでもある。

「わからないけど、好き」から始めていい

中原さんがサイトや番組づくりで意識してきたのは、「興味はあるけれど、入りづらい」と感じている人たちの存在だった。
サンバ、ショーロ、MPB……言葉だけで構えてしまう人も多い。

「最初から全部わかる必要はないと思うんです」

理屈はわからないけれど、雰囲気は好き。
その感覚を大切にして、「じゃあ、次は何を聴いてみたい?」と会話を重ねていく。
一人が面白いと感じれば、きっと周りにも伝わっていく。
そうやって、少しずつ裾野を広げてきた。

これからは、もっと音楽そのものに光を当てていきたい。
特に、日本の20代が、いまどんなブラジル音楽を聴いているのか。
その感覚には、強い関心を持っているという。

若い世代が鳴らす、いまのブラジル

近年、中原さんが強く惹かれているのが、息子や娘の世代にあたる若いブラジルの音楽家たちだ。
バーラ・デゼージョ、ゼー・イバーハ、フーベル、チン・ベルナルデス、アナ・フランゴ・エレトリコ……
20代後半から30代のミュージシャンたちが、フェスやイベントを通して存在感を増している。

彼らの音楽は、いわゆる「ブラジル音楽マニア」だけでなく、パーティーやオルタナティブな音楽が好きな層にも自然に届いている。
マニアでなくても楽しめて、でもマニアが聴いても面白い。
そのバランスこそが、いまのブラジル音楽の面白さなのかもしれない。

興味深いのは、彼ら自身が70年代のブラジル音楽を「最高だ」と語ることだ。
トロピカリアやクルビ・ダ・エスキーナを深く聴き込み、そこから自分たちの音楽を組み立てている。
背景には、ストリーミングの利便性だけでなく、家族の中で音楽が受け継がれてきた文化の強さがあるのだろう。

言葉がなくても、伝わるものがある

Photo:O-DAN

中原さんが初めてブラジルを訪れたのは1985年。
リオ、サンパウロ、サルヴァドールを巡る短い旅だったが、その記憶はいまも鮮明だという。

空港に降り立った瞬間の匂い。
猛スピードで走るタクシー。
英語がほとんど通じない不安。
そして、到着した夜に観たイヴァン・リンスのコンサート。

観客が一斉に歌い、ステージと客席の境界が溶けていく。
「歌うこと」そのものが、音楽への最大のリアクションなのだと、身体で理解した瞬間だった。

この体験は、ミルトン・ナシメントの音楽を聴くときにも重なっていく。
歌詞がわからなくても、声そのものが感情を伝えてくる。
言葉を超えたところにある音楽の力。
それを教えてくれた作品のひとつが、『Milagre dos Peixes(魚たちの奇跡)』だった。

好きなものを、突き詰めるということ

「興味を持ったことは、とことん突き詰めたい」

インタビューの中で語られたこの言葉は、とても中原さんらしい。
好きなものがはっきりしているからこそ、向き合う時間は長くなる。
そして、その時間こそが人生を豊かにしてくれる。

音楽との距離感は、人それぞれでいい。
けれど、ほんの少しでも「好き」という気持ちがあれば、それはきっと歳を重ねても続いていく。

ブラジル音楽を通して見えてくるのは、音楽そのものだけではない。
世代を越えて受け継がれる感覚や、人と人とのつながり。
その中心には、今も変わらず、まっすぐに響く「声」がある。

中原 仁(Jin Nakahara)


音楽・放送プロデューサー/選曲家。株式会社アルテニア代表。
1954年横浜生まれ。1977年よりFM番組の選曲・構成に携わり、88年から現在までJ-WAVEの長寿番組「SAUDE! SAUDADE…」をプロデュース。
これまでに約50回ブラジルを訪れ、取材・制作・公演コーディネートを通じて日本とブラジル音楽の架け橋となる活動を続けている。
CD制作、コンピレーション監修、コンサート企画・演出、執筆、DJ、講師など活動は多岐にわたり、近年の仕事に『MUJI BGM30 – Brasil Nordeste』(2025)など。
著書に『ブラジリアン・ミュージック200』(2022)、共著に『リオデジャネイロという生き方』。『21世紀ブラジル音楽ガイド』監修。


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