「ブラジル特報」2025年11月号 (特集)ジョアン・ジルベルト再考よりジョアン・ジルベルトにとってのボサとは何か?

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No.1689 2025年11月号
【特集】ジョアン・ジルベルト再考より

ジョアン・ジルベルトにとってのボサとは何か?


田中勝則(音楽評論家)

ジョアン・ジルベルトの音楽とは

ジョアン・ジルベルトの音楽は、20世紀前半の黄金期のサンバと60年代以後に登場した新しい音楽を結ぶ、ちょうど中間に位置する。
ジョアンの最初のヒット曲であるシェガ・ジ・サウダー ジは、78回転のSPレコードの最後の時代である58年録音。
そして同タイトルのファースト・アルバムはLPレコードの時代が本格的なスタート地点だった59年に発売された。
だからジョアンの音楽には、SPレコードの時代に育まれた音楽性とLPレコードの時代に生まれた新しい感覚の両方が宿っている。
なので、この人の音楽の魅力を探るには、ボサノヴァやその影響下で生まれた新世代の音楽だけを追いかけても難しい。
そもそもジョアンのレパートリーには古い時代のサンバのカヴァーが大きな部分を占める。
そのあたりをしっかり深掘りすることも必要なのではないか。
中原仁さんが監修した『ジョアン・ジルベルト読本』でぼくが書いた「黄金時代のサンバを歌う歴史の語り部としてジョアン・ジルベルト」は、そんなことを目指して取り組んだ小論だった。
そんなジョアンの音楽について考えるにあたって、まずこだわっておきたいのがボサ Bossaという言葉だ。
これについては今年になって発売された拙著『ブラジル音楽歴史物語』でも詳しく触れたが、改めて別の視点からこの言葉の持つ意味を分析することにしたい。

改めてボサノヴァとは

CD「ジョアン・ジルベルトが愛したサンバ」


ボサノヴァを訳すと新しいボサとなる。
これはもともとジョアン・ジルベルトのファースト・アルバムの解説でトム・ジョビンがジョアンの音楽(あるいは人物?)を表現するために使った言葉だ。
しかしその文章ではそれが具体的に何を意味するかは書かれていない。
そもそも新しいボサに元になったはずのボサとはどんな音楽を指すのか。
そしてそのボサを、ジョアンはどのように新しくしたのだろうか。
まずはこれをハッキリさせないといけない。
ポルトガル語の辞書でボサという言葉を引くと、こぶや突起物といった訳語がまず登場する。
続いて出てくるのが素質や性向、またブラジルの俗語では魅力や特性、さらにはJeito(やり方)、Maneiro(素晴らしい、魅力的な)、Talento(才能)といった訳語も登場する。
サンバの歌詞の中にボサが登場するもっとも初期の例としてよく紹介されるのが、ノエール・ローザの「私たちのもの São Coisas Nossas」という曲だ。
これは31年の作品だが、歌詞のリフレインでサンバと俊敏さ、そしてその他のボサは私たちのものだというフレーズが歌われる。
しかし、これもまたジョビンの解説と同様、ボサの意味を明確に示したものではない。
ここでわかるのはボサがサンバと関係する言葉であること。
そして、より重要だったと思われるのが、ボサ Bossaとノッサ Nossa(私たち)が韻を踏んだことだ。
ブラジル人たちがいわゆる国民意識を強く持ちはじめたのが1930年代。
その時代にノエールら新世代の若者たちが常に探し求めたのが私たちのものだった。ブラジリダージ(ブラジルらしさ)は最初から存在したわけではない。
彼らが必死になって作り出したものだ。
そんな時代に、目指すべきブラジル独自の感覚を示す言葉としてノエールの口から飛び出したのが、ボサという言葉だった。
そんなノエール・ローザが自らの責任をとって(?)ボサを音楽の中で具現化した最初の作品が35年の「居酒屋の会話 Conversa de Botequim」だったとぼくは考える。
サンバはもともとカーニヴァルの音楽だが、それが日常的に歌われるようになったのはレコードやラジオといったメディアが確立された30年前後。
そこでサンバ・カンソーンに続いて登場した新しい形式がサンバ・ショーロだが、その分野の最初の傑作とされるのが居酒屋だった。
ここでサンバはインスト音楽であるショーロの器楽的な旋律を取り入れ、ホットなカーニヴァル音楽とは違う、クールで都会的な感覚を持つようになった。

1999年制作の『サンビスタ・ジ・ボサ』

ぼくが1999年に作った『サンビスタス・ジ・ボサ』は、そんなボサの成り立ちから成熟への過程を振り返った編集盤だ。
その冒頭に収録したのは、もちろんこの居酒屋だが、それに続いて紹介したのがルイス・バルボーザという男性歌手だった。
この人は麦わら帽子を叩きながらユーモアたっぷりに軽やかな旋律を歌う独自のスタイルを生み出したが、これが当時サンバ・ジ・ボサと呼ばれた。
文字通り、ボサのサンバという意味だ。
そして2年後の37年にはカルメン・ミランダが「サンバとタンゴ」という曲で、アルゼンチン・タンゴに対抗しうるブラジル独自の文化としてボサを称賛する。
さらに38年にデビューしたシロ・モンテイロはそんな流れの先にボサ本流を確立させた。
これが40年代の前半。
それにあたってウィルソン・バチスタやジェラルド・ペレイラといった黒人作曲家たちが活躍したことも忘れてはならない。
ボサはこのようにして、白人であるノエール・ローザの口から飛び出した言葉を起点に、最後は黒人たちも巻き込んで、ファンキーとも言えそうな新しい混血音楽として完成された。
これこそがリオのサンバの粋であるボサ本流だ。

「ボサ本流」の全盛期

ジョアン・ジルベルトが音楽に目覚め、ギターを手に取って歌いはじめた40年代は、まさにそんなボサ本流の全盛期に当たる。
ジョアンにとってもこれが青春時代の音楽だったことは間違いない。
ただ、これはとても重要なことだが、ジョアンはルイス・バルボーザやシロ・モンテイロのようなボサ本流の流れをそのまま引き継いだわけではない。
ボサ本流はリオのサンバをとことん研ぎ澄ませたものだが、それに対してジョアンは遠く離れたバイーアの生まれだった。
ぼくらが知っているバイーア出身の音楽家のうち、ジョアンの先輩に当たるアシス・ヴァレンチやドリヴァール・カイーミ、あるいは後輩のカエターノ・ヴェローゾやジルベルト・ジルたちは、バイーア湾周辺の町の出身だ。
それに対してジョアンが生まれたジュアゼイロは内陸部のド田舎。
戦前には電気も通っていなかったらしい。
ルイ・カストロの『ボサノヴァの歴史』やズーザ・オーメン・ヂ・メロの『アモローゾ』では、ジョアンの最初の音楽体験としてジュアゼイロの街角で拡声器を使ってSPレコードを宣伝するエミクレス氏のことが語られる。
その時にジョアンは、リオのサンバだけでなく、アメリカのジャズなどを含む、20年分のポピュラー音楽を一度に体験した。
その衝撃がジョアンの音楽の下地になったことは間違いない。
そんなジョアンが当時ボサ本流以上に親しんだのは、もっと汎ブラジル的に親しまれる音楽だった。
ジョアンがもっとも好きだったという男性歌手のオルランド・シルヴァは、まさにそんな感じ。
テンポをわざと外し、遅れたり前のめりになったりする変幻自在な歌い方がこの人の特徴で、ジョアンはそれをお手本にしたが、でもそれはボサと呼ぶタイプのテクニックとは微妙に違った。

ポップな国際派ボサへのこだわり

田中勝則著『ブラジル音楽歴史物語』


そしてもうひとつ、おそらくオルランド以上に大きな影響を与えたと思われるのが、ヴォーカル・グループが歌うポップなサンバだ。
こちらはミルス・ブラザースらアメリカのヴォーカル・グループに影響されて誕生した、いわばサンバの国際派。
きっとサンバとジャズを同時に出会ったジョアンには相性が良かったのだろう。
でもこれはボサ本流とまったくの同時代音楽。
すぐ横に兄弟のように存在した。
だから本流を代表したはずのジェラルド・ペレイラがヴォーカル・グループに向けても曲を書く、なんてことも普通にあった。
アンジョス・ド・インフェルノというグループがヒットさせた「紙のボール Bolinha de Papel」や「約束なしで Sem Compromisso」がそれに当たる。
ジョアンはシロ・モンテイロが歌った本流の名曲「偽りのバイーア女 Falsa Baiana」もいちおう録音したが、でも出来が良かったのは「紙のボール」など、ヴォーカル・グループが歌った曲をカヴァーした時だ。
どうもジョアンが愛したボサは、こんな国際派ボサ路線だったようだ。
ジョアンはそんなヴォーカル・グループがかつて歌った作品に関しては、マニアックと言っていいほど、知られざる作品をカヴァーしている。
詳しくはぼくが選曲した『ジョアン・ジルベルトが愛したサンバ』という編集盤をお聞きいただきたい。
中でもその代表例が「僕のサンバ Eu Sambo Mesmo」や「サンバが欲しい Eu Quero Um Samba」あたりだ。
ジョアンはこれらの作品を晩年までライヴで歌い続けたが、でも作者であるジャネー・ジ・アルメイダはブラジルではほとんど無名。
もはや誰も覚えていない。
いわばこれらはジョアンだけが愛した、こだわりのボサだった。
『ブラジル音楽歴史物語』でそんなジョアン・ジルベルトのボサ感覚を「なんちゃってボサ」と表現したが、これはもちろんジョアンを揶揄したかったわけではない。
バイーア生まれのジョアンがリオ生まれのボサを、本流とはやや違った角度でとらえていたことを言及したかっただけだ。
でも、そのおかげでジョアンはボサをリオの音楽からブラジルの音楽に発展させることができたし、ついには世界中の人々を楽しませることもできた。
ジョアンのおかげで、30年代のリオの街角に育まれたボサの持つ意味は、とてつもなく大きなものになったと言えそうだ。

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