ブラジル音楽ショーロ完全ガイド:第2回 19世紀終盤〜20世紀初頭「ショーロの誕生」
はじめに
前回は「ショーロのルーツ」について解説しました。
今回はいよいよ「ショーロの誕生」です。
19世紀終盤〜20世紀初頭のショーロについて語られていることをみていきましょう。
「ショーロの誕生」に関する一般的な理解と、その時代を代表する「四人のパイオニア」を紹介していきます。
1.「ショーロの誕生」
ショーロ(choro)の「語源」には様々な説があります。
ショーロは「泣く」を意味するポルトガル語、「ショラール(chorar)」を連想させることから、ショーロの演奏にみられるギターの抒情的なフレージングにちなんで名づけられたという説、黒人奴隷たちのダンス・パーティをあらわす語「ショーロ(xolo)」が変化したという説、植民地時代の音楽家集団ショロメレイロス(choromeleiros)に由来するという説、ラテン語の「chorus」と「ショラール」が合わさったという説などです。
実際のところどうだったのかを確かめる術はありません。
しかし、何はともあれ、この「ショーロ」という言葉はやがて民衆の演奏グループや音楽が催される祝祭の場を指すものとして広まり、1910年代頃に「音楽ジャンル」の名称となった、とされています。
こうした民衆音楽の場では、「第1回 ショーロ前史」で紹介した諸音楽(特にポルカ)が演奏されており、これらの音楽が「土着化」することでショーロが形成されていきました。
この「土着化」プロセスにおいて重要な役割を果たしたのが、近代化によって生まれた役所仕事に従事し、余暇においてはボヘミアンとして生きる「下位中間層のアマチュア音楽家たち」であったとされています。
彼ら「最初期のショラォン」たちはルンドゥーの影響を受け、シンコペーションの効いたリズムでポルカをはじめとしたヨーロッパの音楽を演奏し、ショーロのスタイルを生み出していきました。
2. 「四人のパイオニア」
この時代を代表するショラォンとして必ず言及される四人の音楽家がいます。
一人目はフルート奏者で作曲家のジョアキン・カラード(1848-1880)です。
後のショーロのアンサンブルの基礎となる楽器編成(フルート,二本のギター,カヴァキーニョ)を用いて「ショーロ・カリオカ」というグループを立ち上げたこと、そして今では「最初のショーロ」とされているポルカ、「愛らしい花(Flor Amorosa)」の作曲を行ったことから「ショーロの父」と呼ばれています。
前回の記事で紹介したエンヒーキ・アウヴェス・ヂ・メスキータに師事し、帝国音楽院ではフルートの先生もしていました。
当時のリオでは名の知れた音楽家でしたが、伝染病によって32歳の若さでこの世を去りました。

出典:A portrait of Joaquim Callado by Angelo Agostini, published on the cover of the Revista Illustrada, No. 202, April 3, 1880, Wikimedia Commons, CC Public Domain Mark 1.0
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カラードは「ショーロの父」とされているにもかかわらず、「愛らしい花」以外の彼の曲が演奏されることは多くありません。
しかし、カラードの遺した楽曲を現代の音楽家が再解釈したアルバムがリオのショーロ専門レーベル、アカリ・レコードによって制作されています。
二人目は管楽器奏者、作曲家、指揮者のアナクレート・ヂ・メデイロス(1866-1907)です。
彼の重要性は楽団(ブラスバンド)文化とショーロを架橋した点において語られます。
メデイロスは音楽院を卒業し、当時リオ一番の楽団であった「リオ・デ・ジャネイロ消防音楽隊(A Banda do Corpo de Bombeiros do Rio de Janeiro)」の指揮者として活躍しました。
この楽団にはショーロの最重要人物ピシンギーニャ(この人については次回解説します)の師となるイリネウ・ヂ・アウメイダなど、たくさんのショラォンが所属していました。
また、彼はポルカのテンポが落ちて四拍子になったジャンル、ショティッシュ(ポルトガル語では「ショッチス(schottish)」)の名曲を残した作曲家として有名です。
代表曲は「イアラ(Iara)」「三つの小さな星(Três Estrelihas)」「サンチーニャ(Santinha)」などです。

出典:Retrato de Anacleto de Medeiros, Wikimedia Commons, CC Public Domain Mark 1.0
GETULIO RIBEIRO Centro de Cavaquinho. Santinha (Anacleto de Medeiros) Izaias e seus chorões. YouTube. (2026年1月10日アクセス).
三人目はピアニスト、作曲家のシキーニャ・ゴンザーガ(1847-1935)です。
彼女のショーロ史における重要性は「最初のショローナ(ショラォンの女性形)」であったことと、ショーロの「最初の女性ピアニスト」であったことによって語られます。
ショーロの世界にとどまらず、抑圧的な社会環境の中で強く生きた女性として、奴隷制廃止のために闘った人物として知られています。
また、レヴュー(大衆演劇)の作曲家としても活躍し、その中で作られたマシーシ、「コルタ・ジャカ(Corta-Jaca)」はショーロの重要なレパートリーとなっています。

出典:Chiquinha em 1877, CC Public Domain Mark 1.0.
Hercules Gomes (2018, September 14), No tempo da Chiquinha – Álbum complete. YouTube. (2026年1月10日アクセス).
四人目はピアニスト、作曲家のエルネスト・ナザレー(1863-1934)です。
幼いころからクラシックピアノを嗜み、ショパンの影響を受けたナザレーはエリート志向の音楽家でした。
彼の遺した楽曲や演奏スタイルはクラシック音楽と民衆音楽のスタイルを架橋し、「ショーロの発展」に大きく貢献したとされていますが、彼自身のキャリアはクラシック音楽のピアニストとして築かれました。
それゆえ、ショーロのテキストにおいて必ず言及される人物でありながら、「ナザレーはショラォンではなかった」と語られることもあります。
ナザレーはとりわけタンゴ・ブラジレイロとワルツの作曲家としてその名を知られています。
代表曲としては「ブレジェイロ(Brejeiro)」、「オデオン(Odeon)」、「捕まえたぞ、カヴァキーニョ(Apanhei-te Cavaquinho)」などが挙げられます。

出典:Maestro brasileiro Ernesto Nazareth, CC Public Domain Mark 1.0.
元はピアノの曲ですが、今では上記の動画にあるような「ショーロらしい編成」で演奏されるようになっています。
Instrumenal Sesc Brasil(2016,November 24). Papo de Anjo | Tenebroso (Ernesto Nazareth) | Instrumental Sesc Brasil. YouTube. (2026年1月10日アクセス)
おわりに
このように「ショーロの誕生」は本記事の前半で紹介した民衆音楽としての発展と、後半で紹介した「四人のパイオニア」の貢献によって語られています。
しかし、こうした定説にも色々とツッコミどころがあります。
ショーロがジャンルとして確立されたとされる1910年代以前の音楽家や楽曲をどうして「ショラォン」「ショーロ」と呼ぶことができるのか?
そもそも、いつ、誰が、どうして、そのような枠組みを用いて「ショーロの誕生」を言葉にしたのか、などです。
こうした問題は複雑で本連載において追求することはできません。
しかし、「歴史」はいつでも後から語られるものであり、その時には何らかの「単純化」や当時は存在しなかった「分類」が発生せざるをえないことは意識する必要があるでしょう。
次回は「ショーロを確立した」とされる超重要人物、ピシンギーニャと彼の活躍した時代について書いていきます。
参考文献
Cazes, Henrique (2021). Choro: do quintal ao municipal (5th ed). São Paulo. Editora 34.
Diniz, André (2003). Almanaque do Choro: a história do chorinho, a história do chorinho, o que ouvir, o que ler, onde curtir. Rio de Janeiro. Jorge Zahar.
Livingston-Isenhour, Tamara Elena and Thomas George Caracas Garcia (2005). Choro: A
Social History of a Brazilian Popular Music. Bloomington. Indiana University Press.
Severiano, Jairo (2022). Uma história da música popular brasileira. São Paulo. Editora 34.
