【訃報】エルメート・パスコアールが9月13日に89歳で死去

インストゥルメンタル音楽の「魔術師」として知られるエルメート・パスコアールが9月13日に89歳で亡くなった。
マルチ楽器奏者のエルメート・パスコアルは、アコーディオン、フルート、ピアノ、サックスを演奏。、鍋、やかん、じょうろ、子供のおもちゃ、さらには動物を使って、リズム、メロディー、ハーモニーの高度に精巧な音楽を作り、オーケストレーションと即興演奏の才能で知られ、音楽プロデューサーとして国内外の数々のアルバムに貢献。75年間のキャリアの中で、ラテン・グラミー賞を3度受賞している。
またジャズ界の巨匠マイルス・デイヴィス(1926-1991)から「世界で最も印象的なミュージシャン」と評された。
独学で直感的な彼は、10歳のときに兄からアコーディオンを教わったことで音楽の世界に入ったが、楽譜を書き始めたのは41歳になってからだった。
1964年、前身である「サンバランソ・トリオ」(セーザル・カマルゴ・マリアーノ/アイアート・モレイラ/ウンベルト)からセーザル・カマルゴ・マリアーノが脱退。
そこにピアニスト エルメート・パスコアルを迎え「サンブラーザ・トリオ」と改名。
1967年、エルメートとアイアート、そこにエラルド・ド・モンとテオ・ヂ・バホが加わり4人でインストグループ「クアルテート・ノーヴォ」を結成。
このグループは短命に終わり1枚アルバムを残し解散。
先にアイアート・モレイラと彼の妻である歌手フローラ・プリムがアメリカに行き成功を収め、後にエルメートも誘われた。
そこで彼はレコードを録音し、トランペット奏者でありジャズの魔術師であるマイルス・デイヴィスと親交を深めることとなる。
6人の子供、13人の孫、10人のひ孫を残したエルメートは、「年齢なんて存在しない」と語っていた。
「あるのは日々の生活だけだ。幸せであれば、その幸せを人々に伝える術を学ぶことが大切」と語っていた。
2023年、エルメートは「Pra você, Ilza」をリリースした。このアルバムは、6人の子供たちの母親であり、1954年から2000年(癌で亡くなった年)まで彼のパートナーであったイルザ・ソウザ・シルバへのオマージュである。
この作品は、サンパウロ芸術評論家協会(APCA)によって2024年のブラジル最高のアルバムのひとつに選出された。
日本にも何度か来日し、2023年の来日が最後となった。
ブラジル国内での最後の公演は、89歳の誕生日を数日後に控えた6月だった。
また彼は、ブラジルではcampeão (カンピアン※)とも呼ばれている。
そんなカンピアンを象徴するような言葉を生前インタビューで語っていた。
「私はボサノヴァやフォホーのグループを作ったことは一度もない。ジャズだけを演奏することも決してないだろう。
フレーヴォ、バイアォン、クラシック音楽も演奏する。だから私はそれを「普遍的な音楽」と呼んでいる。それが唯一当てはまる表現だと思う」
そしてこう続けている。
「悲しみに飲まれることなく、風の音、鳥のさえずり、水の音、滝の音に耳を傾けてみると、普遍的な音楽はいつまでも身近に生き続けていることがわかるはずだ」
※チャンピオン、擁護者などの意味
