【特集】伝説のロックバンド「Mamonas Assassinas(マモナス・アサッシナス)」はよみがえる
「マモナス・アサッシナス(Mamonas Assassinas)」はブラジルのミックスチャー・ポップ・ロックバンドで、音楽スタイルはロックを中心にフォホー(ブラジル北東部のリズム)、セルタネージョ、さらにはパゴーヂなどが含まれ、1995年から1996年にかけて活動、短いキャリアながらブラジルの伝説になったバンドだ。
メンバーは、ヴォーカルであり中心人物のヂーニョ(Dinho:Alecsander Alves Leite)【中央】、ギターで日系人のベント(Bento:Alberto Hinoto)【右端】、ベースのサムエル (Samuel:Samuel Reis de Oliveira)【左から2番目】、キーボード、コーラスのジュリオ(Júlio:Júlio César Barbosa)【左端】、ドラムのセルジオ(Sérgio:Sérgio Reis de Oliveira)【右から2番目】の5人で構成されている。

Mamonas Assassinasのロゴ
猛毒化合物リシンを含むヒマシ豆(彼らのロゴにはヒマシ豆が描かれている)をポルトガル語でmamonaといい、乳房を意味するmamasを加えた「Manmonas」がバンド名の由来である。
またバンド名のインスピレーションは、セクシーモデル出身のマリ・アレクサンドル(Mari Alexandre)に影響を受けたと言及し「キラー巨乳」と英訳され、デビューアルバムのジャケットにも女性の胸部の半裸が描かれている。
バンドは当初1989年、サムエルとセルジオ兄弟が超絶ギター・プレイのベントと知り合うと、3人で「ユートピア(Utopia)」というバンドを結成、レッド・ホット・チリ・ペッパーズやラッシュ、チタンスやパララマス・ド・スセッソといった国内外の有名アーティストのカヴァーを演奏して活動を開始。
間もなくヂーニョとジュリオが加入し、ユートピアはサンパウロ近郊で活動。アルバムもリリースしたが、売り上げは100枚にも満たなかった。
シリアスなパフォーマンスよりも、コミカルなスキルや面白い曲の方が受け入れられていることがわかると、バンド名を先述の二重表現に変更するなど、音楽にコメディを全面的に取り入れることにした。ここに「マモナス・アサッシナス」の誕生である。
1995年にリリースしたデビューアルバム「マモナス・アサッシナス(Mamonas Assassinas)」(バンド名と同名タイトル)では、たった1日で25,000枚が販売され、現在でも「ブラジルで一日に一番売れたアルバム」としての記録を保持。
さらにその後、このアルバムは週に350,000枚のセールスをたたき出し、最終的には6カ月で200万枚、最終的には300万枚を売り上げるブラジルで最も多く売れたデビューアルバムとして驚異的な記録を打ち立てている。

デビューアルバムの裏表紙
メディアから急速に注目を集めたマモナスはグローボの超人気番組「ファウスタオン」や「シューシャ・ヒッツ」、SBTの「プログラマ・ダ・エビ」といった人気番組に次々と出演した。
マモナスが出演すると視聴率は通常時の軒並み3倍を超えたそうだ。また音楽雑誌だけでなく「マンシェッチ」など一般向け雑誌の表紙を飾ると一躍”時のグループ”となったのだ。
各地のコンサート会場からもブッキングが殺到、1日2回公演はもちろん、3回公演することも珍しくなく、ピーク時には180日間で190回のショウを行った。
短期間でブラジルの大スターとなったマモナスは、国内移動用に当時はまだ珍しい専用ジェット機を購入するとブラジル全土を駆け巡った。
1996年1月6日、マモナスはメモリアルとなる地元サンパウロ市グアリューリョスでのショウを行った。
前座バンドとして、かつて全く売れなかったユートピア名義で当時の衣装と楽曲を披露、後半はマモナス・アサッシナスとして舞台に再登場しヒット中のデビューアルバムを中心にライブを行った。
この会場はかつてユートピア時代に「お客が来ないから」と出演を拒否された会場だった。
その当時の雪辱を果たすように、この日は1万8千人もの観客が来場した。
これほどメガ・ヒットしたデビューアルバムをリリースし空前のブームを巻き起こした「マモナス・アサッシナス」に、彼らが近い将来ブラジル音楽シーンを牽引していくだろうと誰もが思っていた……しかしそんな矢先
1996年3月2日深夜、ブラジリアでの公演を終えバンド・メンバーが乗っていた専用ジェット機がサンパウロ近郊のカンタレイラ山脈に墜落し、メンバー5人を含む搭乗員全員が死亡した。
初の海外公演を直前に控えた悲劇は、翌3日が日曜ということもありテレビやラジオは早朝から通常予定を変更して特別番組を組んで大々的に報道した。
葬儀には10万人を超えるファンが参列したという。CDリリース後、僅か8か月間の活動だった。
彼らの”流星のような”活躍を惜しむ声は多く、トリビュートアルバムや特別番組、ミュージカルといった企画が今でもされており、現在に至るも人々の記憶の中に生き続けていることをうかがわせる。
2023年には彼らの伝記映画『Mamonas Assassinas – O Filme』が公開、オーデイションで選ばれた役者のそっくりさん具合も話題を集めた。
また映画出演者が中心となった公式カヴァー・バンドMamonasAssassinas – O Legadoが出演俳優たちによって結成された。
スケジュールの都合や演奏ができない俳優など、このプロジェクトやツアーに映画に出演した俳優5人全員が同じとはいかなかったが、代役が立てられツアーが開催された。

2023年公開の映画ポスター
そしてまさかの2025年の今年、ここ日本で、このカヴァー・バンド「Mamonas Assassinas – O Legado 」が「ブラジリアン・デー ジャパン群馬2025」に出演することが決定したったのだ。
時を超え、世代を超えて現代によみがえる伝説のバンドの楽曲群は、カヴァー・バンドとはいえ当時を知る人にはあの時代へタイムスリップしたような懐かしさが、近年後追いで知った人にはこの壮大な瞬間に立ち会えるだろう。
余談だが映画『Mamonas Assassinas – O Filme』で使われた楽曲のサントラ(CD未発売。Spotify等で配信)には驚異的セールスを誇ったあのデビューアルバム「マモナス・アサッシナス」の新しくマスタリングされた音源を使用(1stアルバムから1曲収録から漏れている曲はあるようだが……)。
オリジナルの音源よりも音圧がしっかり出ており、現代の技術によってクリアにされた音源なので「ブラジリアン・デー ジャパン群馬2025」に行く前の予習にオススメだ。
またとない機会、この貴重な瞬間に立ち会い、当時の人気を追体験してみるのはいかがだろうか。
ブラジリアンデージャパン群馬
2025年4月26日(土)27日(日)
太田市運動場公園